今日17日の新聞各紙を読むと、今回の米国のアフガン統治の失敗をベトナム戦争での米国の敗北撤退、すなわちサイゴン陥落(1975年)と並べる報道が目を引く。もちろん、米国覇権の失速を示す点では同様ですが、私としてはむしろベトナムとアフガンの差異が、現在の特徴をより浮き彫りにすると感じます。

 

かつてベトナム戦争では、北ベトナムの側に「民族独立」の大義があり、世界的なベトナム反戦運動の高まりもあって国際世論もベトナムに同情的でした。20世紀後半は総じて、米国がアジアやラテン・アメリカ諸国に侵略介入すれば、帝国主義が小国の独立や自治を踏みにじるという、比較的シンプルな「善悪の構図」が成り立った。

 

しかし、2000年代以降のアメリカによる中東介入はこれと異なり、そのような単純な善悪の図式が通用しなくなった。端的にいって、ネオコン主導の介入政策とイスラム原理主義とでは、どちらが善玉ともいえない、いずれにも肩入れできない構図となってきた。

 

カブール陥落に際しても、ブッシュ政権以降の米国の中東介入が批判的に吟味されて当然ですが、だからといってタリバン政権の「民族自決」が歓迎されるはずもありません。アメリカの介入政策も、タリバン政権の「自治」も、いずれもそのまま肯定できない、複雑な状況になっている。

 

それに伴い、今やアメリカへの批判は、「(他国に)介入するな」というものよりも、むしろ「(介入したなら)責任を持って自由と民主主義の旗頭たれ」という批判が目立つようになったと感じます。

 

トルコや中国、ロシアなど権威主義体制の隆盛が目立つ現在にあって、人権、法の支配、公正で民主的な選挙など、いわゆる「自由民主主義」の価値を擁護することはますます重要になっている。米国覇権の黄昏は自明でも、そのまま自由民主主義まで黄昏させてはなるまい。

 

タリバン統治復活を受け、カナダ政府はアフガン国民2万人の受け入れを表明したそうです。日本政府にもそのような明確なメッセージを望みます。

 

カナダ、アフガニスタンから2万人を受け入れると発表 女性指導者など対象
女性指導者や人権活動家、記者、迫害されている宗教的マイノリティーや性的マイノリティーらが対象になるという。